オムリ・ベン=シャハーほか『その規約、読みますか?義務的情報開示の失敗』—規約同意のフィクションを放置する犯人は誰だ
本記事では、規約同意に依存する現代社会に疑問を呈する本『その規約、読みますか?』を紹介します。「リスクは開示した。それを読んで同意するかしないかはあなた次第だ」こうして利用者の自己責任に転嫁する態度は、有害なものにすらなりうると警告する著者。打開策はあるのでしょうか。
「規約同意」は無意味な情報開示規制に成り下がった
ネットサービスでよく見かける「規約を読んで同意する」。一見すると、それは企業とサービス利用者の双方が自由意志に基づいて合意する「契約」のようです。一方で、サービスを提供する側が圧倒的な文字数で一方的にリスク情報を開示し、それをリスクを承知で利用することを選択した利用者に「自己責任」を問い、思考停止に追い込んでいるだけの文書に成り下がっている、という批判があります。
本書は、このような自由意志に基づかない「規約同意」を、オンライン上のものにとどまらず、
- 食品表示ラベル
- 著作権表示警告
- コンサート等チケットの裏面約款
- 金融機関の取引前リスク告知
- 医療行為の場面で行われるインフォームドコンセント
なども含めて射程を広げて観察し、それを「義務的情報開示」型の規制と捉えなおしたうえで、そうした無意味な規制が跋扈する現代に警鐘を鳴らす内容となっています。
利用者は規約を理解することすら「あきらめ」ている
規約同意という手法に対する批判自体は、何も目新しいものではありません。
規約がいかに利用者に読まれないままに同意されてしまっているかについては、公正取引委員会等の調査でも明らかになっていますし(関連記事:利用規約を全部読んで同意するユーザーは何%?—公正取引委員会「デジタル広告の取引実態に関する中間報告書」)、本書の中でも、米国における規約同意に関する統計をいくつも引用し、そのことを証明しています。
そんな中で本書の視点の新しさは、「規約は実際のところ読まれていない」「同意は形式化している」といった第三者・規制当局視点からの批判だけでなく、規約同意を強いられている利用者側の「あきらめ」の境地にくわしく焦点を当てている点です。
第4章の「『何でも同意します』:開示義務の心理学」と題する章で、著者らは、利用者が規約を実質的に理解して真の同意をすることをなぜ「あきらめ」てしまうのかについて、利用者は、十分な情報が与えられたとしても、必ずしも自ら意思決定することを望んでいないどころか、嫌悪することすらある。そう指摘します。
利用者が意思決定を回避し、延期し、急ぎ、委ねるときに口にする言葉には、具体的に以下のようなものがあります(89ページ)。
「それはもう知っている」
「それは重要ではない」
「開示は重要ではなく、人(取引の相手)が重要なのである」
「この開示を無視しても(取引自体は)安全に違いない」
「開示に何が書かれていようと、私はこれを入手しなければならない」
「開示は私を助けてくれない、彼ら(事業者)を守るのである」
「とにかく読んでも理解できなかった」
「私が求めたもの(情報)ではない」
「つまらない!」
「(規約を読んでそれにツッコむような人は)変人だ!」
ふだん、規約と名のつく文書は職業柄真剣に読んでいると自負する私でさえ、心の中でこうしたささやきが聞こえないかといえば、嘘になります。
本書が紹介する「死の可能性に直面した患者は、医師から治療方法の選択を迫られた際、不安や恐怖から抵抗し、決定を回避・延期し、医師の推薦に依存したがる」といった具体的事例を読んでも、あらためて、情報開示主義がいかに一方当事者の都合を押し付けるものとなりがちであるかを痛感させられます。
シンプルな規約を目指しても解決にならない
こうした批判に対し、同意を取得する側(主に企業)も改善に向けた工夫や努力をしてこなかったわけではありません。企業が取り組む規約同意を少しでも有効なものとするための工夫は、総務省などによっても評価されています(関連記事:総務省調査にみる「プライバシーポリシー」同意者の理解度を向上させる7つのアイデア)。
ところが本書は、そうした規約を読みやすく・理解しやすくしようという企業努力にはまったく意味がないと、一刀両断しています。
食品ラベルについてさえその効果に懐疑的になる理由がある。ある有名な研究は、人々が、ほとんどそれらを参照も理解もしようとしておらず使ってもいないこと、脂質のような単一項目さえも見ていないことを見出している。多くのカテゴリーについて、人々はその値が大きいのか小さいのかを判断することができなかった(P163)
食品ラベルは人々に影響を与えるかもしれないが、全体としての食事にはほぼ影響を与えない。(中略)何世代にもわたって、平均的なアメリカ人の「食べる機会」は、一日当たり、3.5回から5回へと増え、カロリーは400キロカロリー増えている。多くの食品表示法は一世代前に制定されたものなので、これは成功を意味するものであるとは言えない。(P164)
シンプルさの失敗は、複雑で不慣れな問題に関して開示が義務づけられていることに端を発する。それに馴染みのない人々に、複雑なものを、シンプルに伝えることはほとんどできない。救いの手(deus ex machina)はないのである。(P165)
食品表示ラベルに倣い、規約の一覧性を上げようという試み。これは過去まさに(本書で「ベッドシーツ一面の印刷物のようだ」と批判の矢面に立たされているiTunes規約に同意を迫る)Appleや、日本の経済産業省・総務省などでも、プライバシーポリシーをより読まれるものとするための工夫として奨励してきた実績があります(関連記事:Appleが新たに義務化した「食品表示ラベル型プラポリ」の真意)。
しかし、そのような努力も無駄であると著者は言うのです。
それでも規約同意という儀式がなくならないのは誰のせいか?
リスク表示を義務化される事業者と、同意を強制される利用者。そのどちらに対しても救いも取り柄もない規約同意という儀式が、それでもなぜなくならないのか?この疑問に対して著者らは、
- 企業にとっては、対応コストが安くすむこと
- 利用者にとっては、(一見すると)無害であること
これらに加えて、さらに後ろ向きでショッキングな理由の存在を指摘します。それが、
「規約を読まない・読んでもわからない状態を、企業が利用者の自己責任に転嫁していることで、立法者も新たな規制を作らなくて済んでいる」
というものです。
聞き手が知りたいと思っている以上のことを、聞き手が理解しない言葉で伝えるということが、法的な効力を持つべきではない。(P236)
日本では、ここ数年の民法改正(定型約款規制)や消費者契約法改正(免責条項規制)によって、規約同意形式での合意の有効性が限定的に解釈されるようになりました。利用者の「あきらめ」をよいことに、企業と規制当局とが共犯関係を結びサボタージュし続けてきた悪しき構造を変えるのは、このような法による積極的介入しかないのでしょうか?
規約という手法を用いた企業と利用者間のコミュニケーションに、抜本的な改善と工夫が求められています。
書籍情報
- 著者:オムリ・ベン=シャハー/著 カール・E・シュナイダー/著
- 出版社:勁草書房
- 出版年月:20220527
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