テレワーク中のハンコ出社—「これ必要?」が引き寄せる契約の未来
テレワークがはじまって1年経っても、いまだにハンコ出社を求める人事。4月入社のデジタルネイティブたちが労働条件通知書の電子化を「希望」しても、彼らは法を無視するのだろうか?
我、テレワークの中ハンコ出社せり
テレワークが始まってもう1年も経つのに、恥ずかしながらのハンコ出社である。クラウドサインで連載をさせていただいているにもかかわらず、だ。
依頼者も文書の受領のために出社している。「わざわざすいません」と低めのテンションで言われたけど、そこはお互い様。もちろん心に引っかかりがないわけではないけれど。
ただでさえこんなご時世、その上この時期は東京だって寒く、身をすくめるような日だってある。だから厚着をして肩をすくめがら駅まで歩き、今度は暖房の効いた満員電車に揺られて小汗をかく。でもそんな思いをしてまで、押印のために出社するなんて、誰もしたくない。(みんなそうだよね?)
「労働基準法に関わることは、まだハンコが必要なんです」
僕の気持ちを察したのか、自分に言い聞かせるためか、そう説明してくれた。
マスク越しで表情はよく見えなかったし、ため息が出ていたとしてもきっとカットされているだろう。
労働基準法は本当にハンコ出社を必要としていたのか?
そもそも「労働基準法に関わることはハンコが必要」って本当なのか?
そんな素朴な疑問が浮かんだのは、帰宅して夕食後の皿洗いタイムだった。ビル・ゲイツやジェフ・ベゾスは皿洗いを習慣にしているそうだが、それはきっと間違っていない。ただもっと早いタイミングで気が付きたかったけど。
そんな毎夜のルーチン作業の中からひらめいた今回の疑問。どうにも 調べてみれば、現在多くの文書のおいて電子化が可能になっていた。
もちろん全てじゃない。法令により一部の文書においては、A.必ず書面が必要 / B.電子化に相手の承諾や希望が必要 というものも存在している。
電子化に規制が残る文書と契約類型のまとめリスト からの引用となるが、具体的には以下の内容になる。
A.必ず書面が必要(現時点では電子化不可)
文書名 | 根拠法令 |
---|---|
不動産取引における重要事項説明書面等 | 宅地建物取引業法34条の2、35条、37条 |
定期借地契約、定期建物賃貸借契約書面 | 借地借家法22条、38条、39条 |
マンション管理業務委託契約書面 | マンション管理法73条 |
特定継続役務提供等における契約前後の契約等書面 | 特定商取引法第4条、第42条ほか |
金融商品のクーリングオフ書面 | 金融商品取引法第37条の6 |
B.電子化に相手の承諾や希望が必要
文書名 | 根拠法令 |
---|---|
建設請負契約 | 建設業法19条3項、施行規則13条の2 |
下請会社に対する受発注書面 | 下請法3条2項 |
旅行契約における説明書面 | 旅行業法第12条の4、第12条の5、施行令第1条等 |
不動産特定共同事業契約書面 | 不動産特定共同事業法第24条、第25条 |
投資信託契約約款 | 投資信託及び投資法人に関する法律第5条 |
金融商品取引契約等における説明文書 | 金融商品取引法等 |
労働条件通知書面 | 労働基準法15条1項、施行規則5条4項 |
派遣労働者への就業条件明示書面 | 派遣法34条、施行規則26条1項2号 |
今回の ハンコ出社の理由は「労働条件通知書面」だったが、これはBの「電子化に相手の承諾や希望が必要」というカテゴリー になる。この場合、企業人事ではなく、労働者側が希望するのならば電子化も可能、ということだろう。
もしかして、こっちが 「希望」さえすれば、出社しなくても良かったんじゃないのか?
労働基準法が書く「希望」とデジタルネイティブの「希望」
調べを進めていると追い打ちをかけるかのように、2020年6月に内閣府が、法務省・経済産業省との3府省の連名で「押印についてのQ&A」を公開していたことがわかった。その中で、
問1.契約書に押印をしなくても、法律違反にならないか。
・私法上、契約は当事者の意思の合致により、成立するものであり、書面の作成及びその書面への押印は、特段の定めがある場合を除き、必要な要件とはされていない。
・特段の定めがある場合を除き、契約に当たり、押印をしなくても、契約の効力に影響は生じない。
とかなり明確な答えを発信している。
大事な入社書類とハンコの関係でさえ、押印原則が緩和された。「労働条件通知書」は紙で交付しなければならなかったところ、2019年4月以降は労働者が“希望”すれば、電子化が可能になっている(労働基準法15条1項、労働基準法施行規則5条4項)。
4 法第十五条第一項後段の厚生労働省令で定める方法は、労働者に対する前項に規定する事項が明らかとなる書面の交付とする。ただし、当該労働者が同項に規定する事項が明らかとなる次のいずれかの方法によることを希望した場合には、当該方法とすることができる。
一 ファクシミリを利用してする送信の方法
二 電子メールその他のその受信をする者を特定して情報を伝達するために用いられる電気通信(電気通信事業法(略)第二条第一号に規定する電気通信をいう。 以下この号において「電子メール等」という。)の送信の方法 (当該労働者が当該電子メール等の記録を出力することにより書面を作成することができるものに限る。)
後日、担当者に聞けば、「社労士が・・・」「コロナ禍で形骸化した内容とはいえ、一部の人には不利益変更もあり・・・」「管理費のコストが・・・」とか、それっぽい言葉は色々出てくるのだけど、ハンコ出社することに対しての確信に迫った内容はついぞ聞こえてこず、どうにも煮え切らない。
「押印についてのQ&A」の発信者として、労働法を管轄する厚生労働省も名を連ねていれば良かったのか?
紙でのオペレーションから変化することを望まない人事は、間もなく入社してくる新卒組が「ハンコ出社をしたくないので、労働条件通知書の電子交付を“希望”します」と言ったら、どう対応するんだろうか。
もしかすると「いえ、うちは紙で交付する決まりなので」と断ろうとするのかもしれない。デジタルネイティブのZ世代に対して、だ。
だとしたら、“希望”ってなんだろう。
ハンコ出社を「今では笑い話。」にしたい
自身が学生の頃は、ポケベルを使って友人や恋人にメッセージを送るため、公衆電話に長い行列ができていた。授業の合間にある休み時間などは特に顕著で、その列は休み時間内では解消できないであろう長さだったのを覚えている。でもみんな一縷の望みをかけて並んでいた。
インターネットで1MBのファイルをダウンロードするのに3分かかった。うかつに動画の再生でもしようとすれば、どれだけの時間がかかったことか。ようやく再生された動画の画質は、それ自体がモザイクに近い内容で想像力で補完せざるを得ないものだった。その上インターネットに接続中は電話が通話中になっていたため、外部からの連絡が取れなくなり、よく親に怒られていた。
普及し始めたころの携帯電話は、キャリアによって電波が行き渡っておらず、端末のアンテナを伸ばし部屋中をウロウロし最適なスポットを探していた。それがベランダのある両親の部屋だったときは、自身の携帯電話としての使用目的を半分以上を失っていた。など、この手の話は枚挙にいとまないが、今ではすべて笑い話と言っていい。
法的に紙から電子に切り替わったものといえば、2009年の「社債、株式等の振替に関する法律」がある。このタイミングで、ようやく上場企業の株券の電子化(ペーパーレス)が行われている。その際の電子化によって盗難、偽造、紛失といったセキュリティ面でのメリットに加え、印刷などの実対応にまつわる管理コストも削減された、という歴史がある。
証券関係で言えば、1990年代の後半がその時だった。1998年の「金融システム改革法」で証券会社は免許性から登録制に変わった。翌1999年には「株券売買委託手数料完全自由化」が始まり、インターネットが普及のタイミングでもあったこともあり、多くの証券会社が誕生し、躍進していった。例えば1999年4月に設立したマネックス証券は、翌2000年8月には東京証券取引所マザーズ市場に上場するという恐ろしいほどのスピードで急成長している。
大きな変革の前には必ず、必ずその起点となる変化が起こっている。ハンコ出社が笑い話になる変革の過程を、今目撃しているのかもしれない。
時を現在に戻そう。
「これ本当に必要なんだっけ?」が引き寄せる契約の未来
電子契約の導入にあたって苦戦をしつつ前を向き足を進めている人たちが大勢いる。
例えば、高林淳=商事法務編「電子契約導入ガイドブック」が詳しい。本書では、著者である双日株式会社法務部コンプライアンス統括課課長の高林淳氏と共に、太陽誘電株式会社 法務部長 佐々木 毅尚 氏、株式会社パスコ法務部 上級主任 山本 信秀氏らにより、各社の電子契約システム導入から導入後までを含めた課題が座談会形式で語られている。
またクラウドサインが行政(官公庁・地方公共団体)との契約等でも利用可能な電子契約に該当することが、総務省・法務省・経済産業省・財務省により確認されたことは記憶に新しい(関連記事:国・地方公共団体ともクラウドサイン可能に—グレーゾーン解消制度による電子署名法・契約事務取扱規則の適法性確認)。きっと1990年代の後半も、こんな様子だったんだろう。
そんな状況下で今回、ビジネスパーソンとしての自身のキャッチアップ能力不足と思考停止を露呈してしまった。「書面にハンコが欲しいんです」と担当者から依頼があった際に、すぐにこれまでの内容を提示できなかったのは痛い。言われるがままの状態で従ってしまったのは不徳の致すところ。
そう考えると、各々の「これ本当に必要なんだっけ?」の一言が、未来を早く引き寄せるんじゃないか。
「昔、感染症が世界規模で蔓延していたんだ。でも、ハンコを押すために出社したんだよ」って早く言いたいよね。
(写真・文 宗田)
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