判例なき電子契約ワールドの水先案内人—高林淳=商事法務編『電子契約導入ガイドブック[国内契約編]』
見ためと前半の読みやすさは確かに「ガイドブック」ですが、後半の「法律編」「税務編」が上級者の疑問にも明快に答えてくれる、幅広い読者層に向けた電子契約本です。
コンパクトなガイドブックの「ふり」をした本格的な電子契約の法律概説書
電子契約の初級者だけでなく上級者まで、幅広いニーズに対応する本 が出版されました。水先案内人となる本書を共著したのは、電子契約導入済み企業の法務責任者、インハウスローヤー、電子署名技術に詳しい法律家、コンサルタントの皆様です。
まず意外だったのが、一般的なA5版の法律実務書よりひと回り小さいB6版だったこと。ページ数も200ページ足らずというコンパクトさです。
このサイズ感に加え、前半のChapter1の「座談会編」(NBL No.1174掲載鼎談のアップデート)・Chapter2の「実務編」では電子契約の法的論点がさらっと軽めに紹介されるのを読み進めながら、もしかして法律論の詳細には踏み込まないのかな…?とちょっとだけ不安に。
ところが、後半のChapter3以降はガラッと趣を変えて、条文だけを読み込んでいても気づきにくい実務上重要な論点について、Chapter1・2に散りばめられた伏線をもれなく回収しながら、詳しく解説 が展開されます。
実務家のコーナーキックを、法律家が狙いすましたボレーシュートでゴールに叩き込むような、共著であることを生かした華麗な「セットプレー」になっていました。
電子契約に関する法務の疑問にストレートに回答
では具体的に、本書の著者らが具体的に踏み込んでくださった法的論点のいくつかについて、ご紹介しがてらコメントを述べてみたいと思います。
(1)3条電子署名として推定効を得るために認証や電子証明書は必要か
まず第一に、電子署名の裁判上での取り扱いに深く関わる、電子署名法3条に定める推定効が認められる要件についてです。
ユーザーに電子証明書を発行することで利益を得たい「認証事業者」のセールストークに、
「当事者署名型は、契約当事者をあらかじめ認証して電子証明書を発行するので、電子署名法3条の推定効が受けられます」
「事業者署名型(いわゆる立会人型)は、当事者を認証せず電子証明書も発行されないので、3条推定効が発生しません」
というものがあります。ウェブサイトや営業資料に図解入りでそのような説明をしている事業者もあります。
本書98頁-99頁では、これが誤った解釈であり、電子署名法3条の推定効は、認証の実施や当事者への電子証明書の発行は要件とはなっていない ことがクリアに解説されています。
認証がされた電子署名であっても、電子署名法3条の推定効を受けるための「必要な符号及び物件を適正に管理することにより、本人だけが行うことができることとなっている」かを満たしているかは別問題であって、認証がされていても必ずしも電子署名法3条の推定効を受けるとは限らない。逆に、電子署名法3条の推定効を受けるために、電子署名が認証事業者によって認証されていることは必要とされていない。
認証事業で利益を得ている電子契約事業者の口からは決して語られない「不都合な真実」。少なくとも第3章の著者らは、そうした事業者の影響を受けない中立なスタンスでこの本を書いていらっしゃることが伺えます。
(2)「本人」以外による「電子署名代理(代行)」は可能か
次に、秘密鍵を他人と共有することによる「電子署名代理(代行)」は可能か、という論点についてです。
なぜこれが論点になるかというと、日本企業の押印慣行では、代表取締役等印章の名義人自身が実際の物理的な押印作業を行わず、ほとんどの場合従業員がこれを管理し代行するという実務があるためです。これを電子署名の世界に置き換えると、「秘密鍵」を従業員と共有するということになります。
この点、
- 電子署名法3条は、押印の推定効について定めた民事訴訟法228条4項と異なり「又はその代理人による」の文字がない
- 条文に「本人による電子署名」「本人だけが行うことができることとなるものに限る」とあることからも、かなりその電子署名行為に厳格な本人性が求められている
- それらによる不便を補充するために、電子委任状法の存在意義がある
ものと考え、他人に秘密鍵を共有して「電子署名代理(代行)」を行なってしまうと、3条の推定効が及ばないという考え方もあります。
しかし本書P114では、第147回国会参議院交通・情報通信委員会第19号平成12年5月23日議事録21頁天野定効発言を根拠に、第三者による電子署名代理(代行)も法的に可能 と説明します。
「本人だけが行う」の「本人」とは、電磁的記録に記載された思想を表現した者を意味する。契約書であれば、契約書は当事者の思想(合意内容)を表現したものであるから、契約当事者が本人となり、議事録であれば、議事録作成者の思想(見聞した結果)を表現したものであるから、議事録作成者が本人となるのが通常であり、基本的には電子文書の作成名義人=本人と解してよいだろう。
なお、署名代行が認められることから、ここでの本人とは、前述の「電磁的記録に記載された思想を表現した者」という規範的な意味での本人であり、実際に物理的に電子署名をするための措置を取った者を意味するものでは必ずしもないと考えるべきであろう。
(3)訴訟において電子契約をどのように証拠提出するのか
そして3つめが、紙の文書ではない電子契約は、訴訟の場面で何を原本としてどのように証拠提出されるのかについてです。
クラウドサインでは、民事訴訟法231条・大阪高昭和53年3月6日高民31巻1号38頁ほかを根拠に、準文書であることを述べるにとどめていましたが、本書P163以下では、ここからさらに新書証説または新検証説の対立とその意義まで深ぼって解説しています。
情報記録媒体そのものの原本性について、新書証説では文書として取り扱うが、情報記録媒体そのものは原本的性質を有するので、原本として取り扱うことに差し支えはないだろう。新検証説では、情報記録媒体そのものは検証によることになり、そもそも文書として取り扱わないので、原本である必要はない。
訴訟法レベルで電子文書の提出実務について触れた文献としては、町村泰貴・白井幸夫編『電子証拠の理論と実務 収集・保全・立証』(民事法研究会, 2016)ぐらいしか見当たらなかったところですが、電子契約に特化してこの点に触れている点も見どころです。
(4)タイムスタンプさえあれば電子帳簿保存法の要件を充足するのか
最後に、類書と比較した際の本書の大きな強みのもう一点が、デロイトトーマツ税理士法人・DT弁護士法人所属の著者らによって、電子契約と電子帳簿保存法の実務的課題、特に電子契約とタイムスタンプ制度の関係について詳細に言及されている点です。
前半の「実務編」で、認定タイムスタンプが付される電子契約サービスを利用したとしても、検索性の要件を満たすためのメタデータの入力を徹底することがいかに難しいか 警鐘を鳴らしている点は、先人だからこそ知る実務の悩みとして傾聴すべきポイントでしょう。
なおこれに関し、P47の注釈で、
理論上、文書を読み込ませることで文字認識させ、AIにより①〜③【筆者注:①取引年月日、②金額、及び③相手方の名称】の情報を抽出し、別途どこかに保存させるといった仕組みの構築は可能だが、色々な日付から妥当な日付を判別したり、月額の場合は12倍、四半期の支払いは4倍する作業まで正確にAIに作業させることは現状ではできていない。
とありますが、まさにこの課題を解決しようというのが、クラウドサインAIの目指すところです。
「判例がないから導入しない」という思考停止から脱却するために
電子契約の導入に二の足を踏む大手企業の法務部が気にされるのが、「電子契約の有効性が争われた判例が、日本では2020年時点でまだ存在しない」という点です。印章を用いた契約書よりもアクセスログ等の証跡が残りやすい電子契約において、そもそも真正な成立を争うシチュエーション自体がないことの証左でもあります。
一方で、電子署名法は施行からすでに約20年が経った法律です。政府からその解釈と有効性に関するQ&Aが立て続けに出されているだけでなく、本書のような優れた書籍の著者らがあらゆる角度から法的論点を潰し、世界的にも普及実態を伴って予測可能性も十分な水準 に達してきています。
判例が出てくるのを首を長くして待っていらっしゃる大企業の法務部の方にも、「ここまで議論が整理されているのなら、そろそろ電子契約に踏み出してもいい頃かな」、そう感じさせてくれる頼もしさを備えたガイドブックです。
(橋詰)
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