AIベンダーたるものデータ法こそマスターせよ—齊藤友紀・内田誠・尾城亮輔・松下外『ガイドブック AI・データビジネスの契約実務』
AI開発契約本の3冊目として、ベンダー向けの実務書を紹介します。この物理的薄さからは想像できないほどに濃厚な、読者を選ぶ一冊です。
契約を論ずる前に必要なのはデータ法の体系的理解
著者のお一人である iCraft法律事務所 の内田誠先生よりご恵贈いただきました。ありがとうございます。
AI開発契約に関わる書籍のご紹介は3冊目となります。前2冊との最大の違いは、何と言っても ベンダー向けに書かれた本 である点です。
たんにモデル契約の契約条件がベンダー有利になっている、というだけではありません。AIを売るベンダーの契約を法的にサポートするならば、契約条項の有利不利を論じるだけでは足りず、まず AIを駆動させる「データ」の取り扱いに関する最新の法律知識を体系的に、高いレベルで理解しておく必要がある。その点にフォーカスしているのが特色です。
そのスタンスは、以下一節でも力強く語られています。
契約は、取引に伴うリスクを管理するための手段の1つに過ぎない。しかも、契約は、禁止行為に対する制裁を定めることで当事者の行動インセンティブに働きかけるが、予防的な見地からは不完全な制度である。そのため、流通性の高いデータとの関係では特に、より直接的に違反を抑止するセキュリティシステムや、データの利用を制約する不正競争防止法、特許法その他の法令など、契約以外の制度との複合によってリスクを管理するという全体観をもつことが重要である。(P7)
このようにデータ法全般の体系的理解の重要性に力点を置く著者らは、経済産業省「AI・データの利用に関する契約ガイドライン」(データ編)の策定にかかわっていた皆様。
ちなみに、経産省AI契約ガイドラインは「AI編」と「データ編」とに分かれており、その二つの文書の関係は以下のとおりとなっています(ガイドライン「データ編」P13より)。
AI技術を利用したソフトウェアの開発前期におけるデータの取得と加工の過程や、AI技術を利用したソフトウェアの学習に利用される学習用データセットや学習済みモデルに含まれる学習済みパラメータの取扱いの前提として、本ガイドライン(データ編)における派生データ等に関する一般的な取扱いの議論が参考になるだろう。 他方で、学習済みモデルの開発契約または AI技術の利用契約におけるその他の論点については、本ガイドライン(AI 編)を参照されたい。
7つの契約類型についてベンダー寄りにガイド
もう一つの特色が、経産省AI契約ガイドラインが取り扱う契約類型(秘密保持 / PoC / 開発委託 / データ提供 / データ創出)にとらわれずに、実務で締結頻度が高い以下7つのモデル契約を幅広く取り上げて解説 している点です。
- 秘密保持契約書
- システム開発業務委託契約書
- 運用保守業務委託契約書
- ソフトウェア・ライセンス契約書
- サービス利用規約
- プライバシーポリシー
- プラットフォーム利用規約
秘密保持契約は秘密保持義務をユーザー片務としていたり、開発業務委託契約はテストデータ以外での性能保証を否定、加えて知財の侵害も非保証にしていたりと、徹底的にベンダー寄りの条件になっているので、自社の契約ひな形を作る際に安心してベースにできると思います(交渉でそのまま通用するかは別問題として)。
また、P96-119で取り上げられているクラウドサービス利用規約に関する「提供検討のための重要な視点」は、すべてのSaaS企業が押さえておくべきポイントを、俯瞰しつつもシャープに捉えていて参考になりますし、プライバシーポリシーだけを30ページに渡って取り上げた章が設けられている点などは、ベンチャー法務の方々にもうれしい、即効性の高い内容かと思います。
求められる法令運用・解釈力のレベルの高さを痛感させられるコラム群
250ページ弱と、法律書としては物理的には分厚くなくむしろ薄い部類にもかかわらず、私は本書を読み終えるのに通常比3倍近くの時間を要しました。それほど充実した内容たらしめているのは、実務でいつも気にはなっているものの放置されがちないやらしい法的論点ばかりを集めた、網掛けコラム×28個 の存在が大きいと思います。
私がふせんを貼ったコラムをリストしてみました。タイトルを見ただけで、当分野に携わる法務担当者には思い当たるフシがあるものばかりではないでしょうか。
- 限定提供データと不正競争行為
- 「派生データ」について
- 学習済みモデルの「完成」と「契約不適合」
- 学習済みモデルの強化を狙った契約スキーム
- 個人データの提供と表明保証条項
- 個人識別性と容易照合性
- 提供元基準 vs. 提供先基準
- プライバシーポリシーと定型約款規制
- 業務委託と監督義務
- 運用と保守の違い
- 「損害」の書き方
- 故意・重過失の場合の免責除外を定める規定の当否
何度か頭から読みなおしていますが、私自身の経験不足と隅から隅まで息が詰まるほどの密度の濃さにより、ご紹介しながらもいまだ消化しきった実感が湧いていません。実務に取り組む傍ら何度も紐解くことで初めて、初読時には読み過ごしていた著者の洞察の鋭さに気づく、そんな本だと思います。
帯に書かれた「深く切り込んだ実践のための書」のコピーに、偽りはありません。
(橋詰)
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