電子契約の締結日問題を解決—タイムスタンプとのズレは「バックデート」にあたるか
電子契約では契約締結日より後に実際の合意締結(タイムスタンプの付与)が行われるため、契約締結日と電子署名のタイムスタンプとの間にズレが生じます。その際に、バックデートして契約書を作ったように見えてしまう点に問題がないか気になっている方は多くいらっしゃるでしょう。本記事ではこの「バックデート問題」について解説します。押印による契約とも比較しながら整理してみましょう。
電子契約で起こる契約締結日と電子署名のタイムスタンプとのズレ
電子契約において印鑑の代わりに用いる電子署名には、通常タイムスタンプが付与されます(関連記事:タイムスタンプとは?電子契約における認定タイムスタンプの法的意義と効果)。クラウドサインも、無料プランを含むすべてのプランには、時刻認証事業者の認定タイムスタンプが自動的に付与されます。
このタイムスタンプには、契約当事者のうち、最後に同意した当事者が同意ボタンを押した日時が秒単位で記録されます。
ところで、タイムスタンプとして記録される日付は、電子署名の対象となる電子ファイルの内容を相手と交渉し、文言を調整した日からすれば当然にその後の日付になります。この日付のズレを見て、
「PDFファイル本文に記載された『契約締結日』ではない後の日付がタイムスタンプとして表示されるが、問題ないのか?」
「バックデートして契約書を作ったみたいに見えてしまうのでは?」
と、困惑される方もいらっしゃるようです。
ではここで質問です。押印によって作成・調印する契約書では、このような「作成日と調印日がズレる」問題は発生しないのでしょうか?
そうあらためて考えてみると、すべての契約書は「バックデート」で作成されている ことに気付かされます。書面の印刷・製本・郵送を伴う押印の場合はなおさらです。次項ではこのことについて整理してみます。
電子契約の契約締結日はどう決める?
契約書本文に記載する「契約締結日」をどうやって決めるか自体に諸説ありますが、企業法務の実務では、書面の契約書の締結日の決め方は以下3パターンに大別されます(関連記事:契約書の「契約締結日」の決め方【和文契約書編】)。
考え方 | 詳細 |
---|---|
① 書面作成完了日説 | 契約書に最後に押印をする当事者の押印日を締結日とする |
② 実質合意日説 | 都度丁寧に事業部門にヒアリングし、書面上ではない真の「申込と承諾」による合意がなされた日を締結日とする |
③ 全当事者社内承認完了日説 | 全当事者の社内承認取得報告を待って、最も後の日付を締結日とする |
このうち、どの考え方を採用するかを当事者間で合意しなければならないのですが(細かい実務ではあるものの揉めることもある)、どれを採用するにせよ、契約締結日を何日とするかを含めたすべての事項について合意した後でなければ、調印済みの契約書は作成・調印できないはずです。「合意なくして契約書なし」。契約書とは、ある時点において当事者間で記載どおりの合意が確かに存在したことの証拠を“合意した後で”文書という形で作成したもの だからです。
もちろん、合意の後できるだけ速やかに作成することが望ましいとはいえ、土地取引やM&Aなど決済手続きが重要となる取引や個人との対面契約は別とすれば、調印式・サイン式を設け当事者勢揃いで押印・サインでもしない限り、最終合意日=調印日となることはないでしょう。
一方、電子契約の場合も書面契約と同様、契約書に契約締結日を明記します。電子契約では、契約書作成後、契約当事者同士の合意を経た後に電子署名とタイムスタンプを付与することになるため、契約締結日とタイムスタンプの日付がズレることになりますが、このようなやむを得ないズレは不正にはあたりません。具体的なケースは次項で確認しておきましょう。
バックデートが問題とならない場合
電子契約が普及したとはいえ書面への押印により契約書を作成するケースもまだ見受けられます。その調印にあたっては、○月X日に内容に合意した契約について、甲(たとえば売主)が先に2通製本し押印した状態で乙に郵送し、乙(たとえば買主)がそれをX+7日頃に受け取って2通押印し、うち1通を返送し甲がX+14日頃に受け取る、というようなプロセスを踏むのが通常です。
このとき、配達記録の日付や甲乙社内の押印申請書の日付等の記録を見れば、電子署名におけるタイムスタンプと同様、押印の場合も「事後の日付」で調印したことが明らかになるはずですが、こうした押印実務を「バックデート」であると問題視する方はいない はずです。
紙の契約書の押印実務でも問題とされないのと同様、電子契約の本文に書かれた「契約締結日」とタイムスタンプの日時がズレたとしても、ただちに不正な文書となるわけではありません。具体的なケースで考えてみましょう。
御社が売主として商品Xを販売しているとします。御社も買主である取引先も両事務担当者が忙しい3月30日。取引先から明日31日中の納品を要求されました。もちろん御社としては、口頭発注で商品を納品するわけにはいかないということで、取引先の責任者から電子契約で注文書を取り付けることにしました。
一方、この注文書に紐づく御社所定の基本契約書の内容については、取引先法務からは「この内容で3月30日を契約締結日として結ぶことで問題ない」とのコメントはその日のうちに得られたものの、形式的な社内手続きの都合上、電子契約での同意手続きは4月2日になってしまうとのこと。これに対し、御社としては契約内容について合意が取れているとして、注文書とは別に4月2日に基本契約に対する同意ボタンを押したとします。そうすると、確かにタイムスタンプの日付は4月2日となります。
このような状況下で、3月30日を契約締結日とする本文と4月2日を電子ファイルの作成日とするタイムスタンプにズレが発生していても、不正なバックデートには当たらない のはお分かりいただけると思います。しかしどうしてもこのズレが気になるのであれば、基本契約の末尾に、
「本基本契約は、契約締結日にかかわらず、2021年3月30日に遡及して適用する/2021年3月30日から効力を有するものとする」
または、
「本基本契約は、2021年3月30日の両当事者による合意を証するため、2021年4月2日付で電子ファイルを作成し両当事者が電子署名を施す」
といった文言を追加して取り交わしておけばよいでしょう。
なお上記のような対応案については、法律専門誌「ビジネス法務」2020年4月号の特集「今こそ変化のとき 電子契約の仕組みと導入プロセス」P15で宮内・水町IT法律事務所の宮内宏弁護士もコメントされています。
バックデートが問題となる場合
一方、このような「契約した内容を証拠として文書にするまでのやむを得ないタイムラグ」という意味でのバックデートではなく、悪意を持って・無自覚に日付を遡らせることで問題となるケースはあります。以下のようなバックデートは、発覚すればもちろん問題となります。
- 本当は合意していない日に合意していたかのように事実を捏造するバックデート
- 確かに合意はしていたが、契約書を作成していなかった期間が相当長期に渡るバックデート
- 新代表者が就任していない契約締結日に新代表者名義で調印するバックデート
- 暦上存在しないはずの日付を契約締結日とするバックデート
どのようなケースでバックデートが問題になるのかは以下で詳しく解説しておりますので確認しておきましょう。
(1)契約の合意日などの事実を捏造するバックデート
決算期に売上が足りず、本来は翌期計上となる売上を今期の売上に計上するために書面上の日付を操作するようなバックデートが問題となるケースは、枚挙にいとまがありません。経理や監査の手続きで、相手方の合意や承認がその日にあったことを確認できる証憑の提出を求められるのは、こうした不正を発生させないためのものです。
(2)確かに合意はしていたが、契約書を作成していなかった期間が相当長期に渡るバックデート
契約書に記載する契約締結日が実際に合意をした2021年3月31日で、押印や電子系契約を締結する調印・署名日(その記録となるタイムスタンプ)が2021年12月1日である場合など、何らかの理由で実際の合意日とその証拠としての契約書の作成・調印日の乖離が長期間に渡ってしまった場合も、問題となります。その期間に契約が文書化されていなかったこと自体は(結局3月31日の本当に存在した合意に基づいて契約書が作成されているならば)事実の捏造や証拠の改ざん等の問題とはなりませんが、たとえば、前期の決算が監査終了済みだったにも関わらず中間決算も過ぎた後で証憑を後から作成した場合、(1)のケースのように悪意はないにしても、長期に渡るバックデートが生じた事実そのものは治癒できません。
(3)新代表者が就任していない契約締結日に新代表者名義で調印するバックデート
株主総会および取締役会が6月18日に開かれたとして、そこで新しい代表取締役が選任されると、押印の名義も変わることになります。にもかかわらず、6月17日に内容に合意した契約書を6月21日に作成した場合などに、うっかりと「契約締結日 2020年6月17日 代表取締役 甲野 太郎(6月18日に就任した新代表取締役の名義)」などとしてしまうと、その締結日には権限がなかった人物が契約書に調印したことになり、証拠力に疑義が生じてしまいます。
(4)暦上存在しないはずの日付を契約締結日とするバックデート
2020年はうるう年だったので「2月29日」が存在しますが、なぜかうるう年でない年に「2月29日」に調印された契約書や、「4月31日」に締結したことになっている契約書を見かけることがあります。ほとんどの場合、「月末最終日」に合意した事実をケアレスミスでこのように間違って表記したのだと思われますが、契約書の信ぴょう性を疑わせる材料にもなりかねません。
不正なバックデートと私文書偽造罪
本当は記載の契約締結日に正当な権限者による合意が成立していなかったにもかかわらず、これがあったかのように捏造した バックデート文書を不正に作成すれば、刑法上の私文書偽造に該当し得る こととなります。このことを指摘した書籍に、高橋郁夫ほか編『即実践!!電子契約』P124があります。
書籍情報
- 著者:高橋郁夫/編集 北川祥一/編集 斎藤綾/編集 伊藤蔵人/編集 丸山修平/編集 星諒佑/編集 ほか
- 出版社:日本加除出版
- 出版年月:20200902
なお、有印私文書偽造罪は、「印章若しくは署名」の使用が構成要件となるため、押印・署名のない電子署名のみを施した文書において成立するかは論点となり得ます。この点、押印のない私文書であっても、社名や個人名などが記名された私文書を無断で作成または改変すれば有印私文書偽造罪が成立 するという下記判例が存在します。
- 大審院明治45年5月30日判決(刑録18号790頁)
- 東京高裁昭和53年11月21日判決(東高刑時報29巻12号209頁)
電子契約における電子署名とタイムスタンプの役割
電子契約において電子署名は、書面契約における「印影」や「署名」に相当する役割を果たします。印影や手書きの署名に代わり、電子ファイルの作成者を表示すると同時にそのファイルが改変されない技術的措置が電子署名です。
また、電子契約では国家時刻標準機関の時刻に紐づくかたちで「いつ」契約締結したのかを客観的に証明する「タイムスタンプ」を電子ファイルに付与します。
電子契約において電子署名とタイムスタンプは相互補完的な関係になっており、両方を組み合わせて使用することで、電子ファイルの信頼性や完全性をより強固なものにできます。
ここでバックデート問題に改めてフォーカスを当ててみましょう。
紙に押印することで作成する契約書は、「作成日時に関する客観性に乏しく」「日付の捏造がかんたんにできてしまい」かつ「作成にも時間がかかる」といった欠点があります。
これに対し、電子署名とタイムスタンプを用いる電子契約では、契約を締結した証拠文書である契約書がいつ作成されたかという重要な事実とあわせて証拠化 できます。電子契約は事実をありのままに記録できる手段であるとともに、正しいバックデートを正しいものと証明しやすくする手段であり、不正を立証しやすくする手段です。甲と乙が離れた場所にいたとしても、タイムラグなしで契約を証拠化できる手段でもあります。
なお、電子契約は書面契約とは異なり、タイムスタンプに有効期限が設けられている点に注意が必要です。電子契約サービスによっては、タイムスタンプの有効期限を延長する仕組みをあらかじめ用意している場合もありますが、そのような措置をとっていない場合には有効期間を過ぎるとタイムスタンプが失効してしまい、非改ざん性の証明ができなくなるためです。
タイムスタンプでバックデートが可視化されるのは電子契約のメリット
こうしたメリットの裏返しに、 バックデートが問題となる場合の(2)で示したように、悪意なく書類の作成が遅れたケースでも、電子契約ではタイムスタンプの日時を恣意的に動かすことはできません。同じように、当該日時を記録するタイムスタンプが押された電子契約が作成されるまでの期間、契約が文書化されていなかったという事実も、後から修正できないことになります。
このようにプロセスが可視化されることは、契約締結日を任意に操作できてしまう紙の契約書と比較し、電子契約のデメリットであるかのようにしばしば語られがちです。しかし、文書を作成する時系列について、恣意的・不正な操作ができないことは、その企業が取り扱う契約書全体の信頼性を向上させるもの です。仮に契約当事者どうしが示し合わせたとしても、文書作成の日時を改変・捏造できないという点で、裁判所・監査法人・税務署等の第三者の立場から見ても信頼度が格段に高まることは自明です。
締結日を遡ることを契約書に記載した上で両者が調印・署名すれば、正しいバックデートは可能であり、実務上はそれで支障は発生しません。むしろタイムスタンプにより不正なバックデートを防止する電子契約は、コンプライアンス上非常に大きなメリットというべきでしょう。
タイムスタンプにより客観的でスピーディな証拠作成が容易となることに加え、不正も防止できる電子契約の特徴を理解し、利用を促進していただければと思います。
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