能ある鷹は爪を隠す —滝琢磨・菅野邑斗『はじめてでもわかる売買契約書』
TMI総合法律事務所の弁護士らによる、売買契約書の攻略だけに的を絞った契約ガイド。非法務に的を絞りつつ、契約書上級者も納得の細やかさを備えた欲張りな本です。
現場サイドにとっての読みやすさにフルスイング
著者の菅野邑斗先生よりご恵贈いただきました。菅野先生と言えば、このメディアでもお勧めした『業務委託契約書作成のポイント』の執筆者のお一人であり、Twitterなどを拝見していても非常に緻密なお仕事ぶりが伺える信頼できる先生です。
第一法規としてはどうやらこの「はじめてでもわかる〜」のシリーズ化を目論んでいる様子。表紙等のデザインはそのままに、2ヶ月前には河村先生らが契約業務の総論を書かれていました。本書は、それを受けての各論の1冊目ということになるようです。
帯には「『現場』と『総務・法務・管理部門』双方で使える」とのコピー。その触れ込みのとおり、特にデザイン面において、法務ではない方にとっての読みやすさを強く意識した本 になっています。
とにかく字を大きく、図表を豊富に、カラーのアンダーラインで大事なところをこれでもかと強調しと、法律を専門としない読者に小難しさを感じさせないテイストにに大胆に振り切っているのが、このスナップショットでもお分かりいただけると思います。
ビジネスの勝敗を左右するのは、後出しの文言修正法ではなく、契約交渉のアドバイス
各節の見出しの直下にぶらさがる「ポイント」を読んでいると、
- 商法526条が排除される(なるべく担保責任を追求できる)ように契約交渉をしましょう。
- 買主としては、十分な検査期間が確保されるように交渉する必要があります。
- 個別契約ごとに支払い条件が異ならないのであれば、これらの条件を基本契約に規定することも提案しましょう。
といった、「契約交渉のミーティングで勝ち取るべき有利な条件とは何か」に着目したアドバイス が、買主と売主の立場ごと章を分け強調されていました。
契約書指南本でやってしまいがちな、重箱の角をつつくマニアックな文言修正のアドバイスばかりが書かれた法務向けの本には決してしない。本書のはじめから終わりまでそんな意識がにじみ出ていて、非常に好感をもちました。
このメディアでも、「契約交渉」というテーマを定期的に取り上げてきました(参考記事:AIに代替されないのは「自ら交渉する法務」—瀧本哲史『武器としての交渉思考』)。契約書の文言レビューがAIによってどんどんと精緻化されようとしていますが、ビジネスにさらにスピードが求められ、クラウドサインのような電子契約によって契約締結プロセスもスピードアップする時代において、ビジネスの勝敗を分けるのは「法務が同席しない交渉ミーティングの場で、現場が自分で有利な条件を勝ち取って帰ってこれるか?」にかかってくる と確信しています。
交渉ミーティングの場で現場が相手方に有利な条件を確保され言質を取られてしまえば、ミーティング後にAIによる契約書全文レビューをかけ、後出しジャンケンの修正要求をしたところで「後の祭り」だからです。
脚注に隠された能ある鷹の「爪」
このように思い切ったコンセプトに貫かれた良書、ではあるのですが、せっかく菅野先生をはじめとするTMI総合法律事務所のプロたちがお書きになりながら、その職人的知見が披露いただけないとすればもったいないような…。
そんなことを心配しながら読み進めていた私がほっと胸を撫で下ろしたのは、法律実務家の悩みにもヒントを与えるような記述が、脚注という控えめな場所で随所にキラリと輝いていた ことを確認できたから。
例を挙げると、現場は誰も気にしないがそうはいっても法的にはやはり重要な解除条項について、有効性に疑義のある解除事由をどれだけ細かく列挙すべきか迷うところ、現実的な提案をズバリと言い切りつつも、知っておくべき最低限の判例はリファレンスしてくださっていたり、
改正民法の議論がスタートしたときから私自身個人ブログでも悩みを書き綴っていた目的規定のあり方にも言及してくださっていたり。上級者にとっても、日頃の悩みを解消するヒントがいくつか見つかるのではないでしょうか。
「能ある鷹は爪を隠す」と言いますが、著者の先生方のその鋭い爪痕は、こうして脚注にしっかりと刻まれていたわけです。
あえて欠点を上げるとするならば、索引が付いていなかったところでしょう。これは著者ではなく出版社の編集ご担当のご担当エリアかと思いますが、第2版はぜひつけていただきたいところ。特に本書のように「売主」と「買主」に章を分けた構成であれば、思い切って索引も「売主」と「買主」別に分ければ、現場にとってさらに使いやすい本になるはずです。
(橋詰)
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