裁判所による押印偽造事件—書記官はどうやって印影を写したのか


印鑑の安全神話を法の番人自ら崩壊させる前代未聞の公文書偽造事件が発生。いったいどのようにすれば書類から印影だけを写せるのか、その手口を解明します。

法の番人であるはずの裁判所内で発生した押印偽造事件

裁判所の中で裁判官が作成した家事調停の審判書の押印を書記官が偽造 するという、目を疑うような事件が発生してしまいました。

仙台家庭裁判所(C)KishujiRapid 2013 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sendai_Family_Court.JPG
仙台家庭裁判所(C)KishujiRapid 2013 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sendai_Family_Court.JPG

▼ 審判書押印偽造 書記官を処分 仙台地裁

地裁によると、書記官は6月中旬、審判書に裁判官の押印がないことを隠そうとして、正しく押印された別の書面から印影を写した。この審判書は使われず実害はないという。後任者が押印がない他の文書を見つけ、上司やこの書記官に問い合わせたことをきっかけに今回の偽造が発覚した。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO48115500S9A800C1CC0000/ 2019年8月5日最終アクセス)

処分を受けた書記官は停職1カ月の懲戒処分となり、8月1日付で依願退職したと報じられています。

別の書面から偽造書面へ印影を写す手口「ナニワ金融道流鯛焼き転写術」とは?

さて、ここで疑問となるのが、「正しく押印された別の書面から印影を写した」というその押印偽造の手口です。

本メディアではこれまでも、3Dプリンタ技術を使って印影から印章を偽造するリスクについて検証し、何度か警鐘を鳴らしてきました(関連記事:電子契約において「印影」が法的に不要なのはなぜか)。しかし、今回の報道を見る限り、こうした方法は用いられていないようです。

では、機械を用いずに 一体どのようにして書面から別の書面へ印影を写すことができるのでしょうか? その手口が、サラ金業界を舞台にした著名漫画『ナニワ金融道』に描かれていました。

青木 雄二『ナニワ金融道 第19巻』(講談社,1997)P97
青木 雄二『ナニワ金融道 第19巻』(講談社,1997)P97

一コマめ、書類のそばになぜか“鯛焼き”がちょこんと描写されているのが見えるでしょうか?漫画ではこの“鯛焼き”を使って、

  1. 熱と蒸気で書面の裏から転写したい印影を温める
  2. 浮き上がった朱肉を半紙に付着させる
  3. 半紙についた朱肉を偽造書類に転写する
  4. それだけでは色が薄いため、転写した印影に“面相筆”で朱肉を上書き補充する

ことで、契約書から契約書へと印影をいとも簡単にコピーしています。

なんとも皮肉なのが、印影を偽造をしている男のキャラクター設定が「地方裁判所の書記官をクビになった海事代理士」 であるという点。今回の事件の犯人も書記官というのは、偶然にしては出来過ぎなぐらいです。

このように漫画で描かれるぐらいですから、もしかすると、裁判所書記官のような書類作成のプロの間で広く知られた偽造方法なのかもしれません。

印鑑の安全神話崩壊で求められる意思表示のリ・デザイン

この事件は、単に裁判所が公文書を改ざんしたという点だけをもってしても重大な事件です。そしてそれ以上に、押印文書が真正に成立したことの推定効を認める根拠とされてきた重要判例の前提を裁判所自らが揺るがす事件 として、きわめて大きな意味を持っています。

文書中の印影が本人または代理人の印章によって顕出された事実が確定された場合には、反証がない限り、該印影は本人または代理人の意思に基づいて成立したものと推定するのが相当であり、右推定がなされる結果、当該文書は、民訴326条【編集部注:現行民事訴訟法228条】にいう「本人又は其ノ代理人ノ(中略)捺印アルトキ」の要件を充たし、その全体が真正に成立したものと推定されることとなる
(最判昭和39年5月12日民集18巻4号597頁)

上記判例が、民事訴訟法228条4項に定める私文書の押印の推定効を認める「二段の推定」を支える根拠とされ、とにかく契約書には押印さえあればよいという盲目的な神話を支えてきました。

しかし、「反証がない限り、該印影は本人または代理人の意思に基づいて成立したものと推定するのが相当」は裁判所の経験則、すなわち

  • 印影を作出するためには印章が必要
  • 印章は通常大事に金庫等に保管されていて本人以外が押印できるはずがない
  • 印影や印章を偽造するのは技術的に困難

といった古い前提から導かれた判断です。今回のように、書記官が裁判官の印影をいとも簡単に入手し、偽造してこれを作出したというのは、その経験則を裁判所が自ら否定する行為というべきでしょう。

「二段の推定」を覆す裁判例はすでに複数現れていましたが、これに加えて、行政機関では市長印ですら本人ではない単なる職員が無断で押印している実態が露呈しています。そして、不動産取引では地面師がいとも簡単に実印を偽造し、本人になりすまして法務局や司法書士らを騙すことに成功しています。現代においては、印鑑の安全神話は完全に崩壊していると言わざるをえません。

押印に頼らずに文書の真正な成立をどうやって示すか?そもそも、文書に押印やサイン(署名)を施すことが意思表示を証拠化するベストな方法なのか?

いま、意思表示の抜本的なリ・デザインが求められています。

(橋詰)

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