「代理決済できるという印章の特長」は法的に認められているか
デジタル手続法案に反対する全日本印章業協会らが、担当大臣宛て要望書を提出。その中に書かれている「代理決済できるという印章の特長」について、法的にそれが認められているのか、分析してみます。
デジタル手続法案への反対意見に書かれた「押印代行」の実態
前回の記事でも取り上げたように、行政手続の完全デジタルファースト化を目指す「デジタル手続法案」が今国会で提出されようとしています。
これに反対する勢力として、印章を製作する事業者らによる業界団体があります。平成30年2月2日付、全日本印章業協会らが担当大臣宛てに「『デジタル・ガバメント実行計画』に対する要望書」と題する反対意見を提出しています。
もちろん、様々な立場があり、こうした意見を述べること自体は自由だと思いますが、その中に、法律的に目を引く興味深い記述がありました。
欧米のサイン制度と違い、代理決済【原文ママ】できるという印章の特長が、迅速な意思決定や決裁に繋がり、戦後の日本の急速な発展にも寄与してきたという自負もあります。
つまり、社長が会社に不在などの理由で、本来であれば書面に代表取締役の印が押印ができないような場合でも、その印章にアクセスできる従業員が代わりに押印できる ので、対外的な意思表示がスムーズにできて便利じゃないですか、それがデジタル化によって失われていいんですか?という主張です。
ところがこの主張は、法的には押印の「タブー」にも触れかねないとても微妙な主張 なのです。
本人が行なっていない押印は法的に有効か?
どこが法的な押印の「タブー」に触れてしまうのでしょうか。それは、その印章の本来の所有者ではない者が代わりに押印した場合、法律が定める「押印の推定効」が認められるかは、判例上明らかではない、という点です。
そもそも押印された文書に効力が認められるのはなぜかというと、「本人が大切に保管している印章と一致する印影がある文書なのだから、普通に考えれば、本人が意思をもって作成した文書に違いない」という推定が働くためです。この推定の理屈は、最高裁判例による推定と民事訴訟法228条4項に定められた推定を重ねたものであるため、法律の世界では「二段の推定」と呼ばれています。
この「二段の推定」を支えているのは、「自分の印章というものは通常は本人が大切に保管していて、他人は押せないはずのもの → だから印影が一致すれば本人が押したものに違いない」という経験則 に基づく判断です。
しかし、さきほど見た全日本印章業協会らの要望書は、「本人ではなくても代理で(気軽に誰でも)押印できてスピードが早い」のが印章を使うメリットであると言っています。つまり、最高裁が認定した経験則に基づく二段の推定の根拠を自ら否定する発言 になってしまっているのです。
判例のない「署名代理(押印代理)」の危うさ
とはいっても、世の中はそんな綺麗事ばかりではありません。実社会では、最高裁がいう経験則とは異なる押印実態が許容がされているのも事実 でしょう。
特に一部上場企業ともなれば、忙しい代表者が本人名義の文書すべてについて押印作業をしていては、時間がいくらあっても足りません。まちがいなく、法務や総務を担当する従業員が代表者に代わり大量の押印をこなしているはずです。
こうした代理押印の行為は、「署名代理(押印代理)」と表現されることがあります。つまり、押印をする意思決定自体は代表者が行うが、押印作業の代行権限だけは社内規程等で従業員に委任し、作業の代行だけをさせている、ということです。
ところが、この 署名代理(押印代理)によって押印した印に「二段の推定」がそのまま認められるかは、法的には明らかではないという問題 があります。この問題について述べた数少ない文献として、川添利賢「署名代理と二段の推定」(立教法務研究、2008)があります。
代理人が処分証書を作成する場合,「A代理人B」というように,代理人が,代理人であることを書面上に表示して,代理人名義で署名押印又は記名押印するのが通常の形であるが,この他に,書面には代理行為であることを表さず,代理人が本人名義で署名押印又は記名押印して代理行為を行う,いわゆる「署名代理」の方法がある。
この署名代理の方法によって作成された処分証書は,本人名義の文書であるという面からすれば,二段の推定が働くものと考える余地があるが,代理人によって作成された文書であるということからすれば,その適用を否定すべきものとも考えられる。この点について,正面から判断した判例はないが,実務の大勢はその適用に肯定的な傾向にあると見ることができる。
(中略)
実務の大勢は署名代理への二段の推定の適用を肯定する傾向にあるといっても,これを適用した場合に生じる,本人による法律行為という書証上の形式と代理による法律行為という実体法上の法律効果の発生要件の齟齬を如何に取り扱うかということについては,ほとんど検討されないといってよい。(P128)
この論文では、署名代理の効果を肯定的に捉えながらも、判例もなく、法的には議論があると述べています。
今回の全日本印章業協会らの要望書は、法的には不安定にもかかわらず暗黙の了解で行われてきた「署名代理(押印代理)」という実態を改めて明るみにしてしまった、とも言えます。
印章と新技術の使い分けを目指して
以上、今回は、押印文書の真正性を支える「二段の推定」と「署名代理(押印代理)」という法理論について整理し、デジタル手続法案への反論書に書かれた主張の危うさについて、検討してみました。
たしかに、印章を使った押印による意思表示は長きに渡る日本の慣行でもあり、その運用上の工夫として、押印を作業として別の者に代行させることにより文書の作成スピードを担保できてきたのは事実でしょう。
しかしながら、これだけコンピュータとネットワークインフラが普及し、電子署名や電子契約サービスのように、必ずしも紙とハンコによらずともスピーディに意思表示ができる技術・ツールが整った現在においては、もはや物理的な印章にこだわる必要はなくなっています。むしろ、そうした新たな技術をもっと普及させることで、署名代理(押印代理)によらずに、代表者本人がいつでもどこでも本人の手によって行いやすくなったと考えるべきではないでしょうか。
印章を前提としないことによって、意思表示のスピードはもっと向上するはずという新たな発想に立ち、文化的・芸術的な造形物としての印章と、科学技術を用いた意思表示手段とを使い分けて行くほうが、日本の将来のための建設的な議論となるのではないかと考えます。
参考文献
- 川添利賢「署名代理と二段の推定」(立教法務研究、2008)
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