契約実務

「立場の弱い個人」がフェアな契約条件を勝ち取るコツ


「ロマンスの神様」等のヒットで著名な歌手 広瀬香美さんが、所属プロダクションと独立をめぐる紛争状態にあったところ、和解したとの発表がありました(「芸名『広瀬香美』の使用OK 前所属事務所と和解成立」サンケイスポーツほか)。

契約において、企業と個人の立場の違いが交渉力の差を有むことは、こうした芸能界に限ったことではありません。2018年2月には、公正取引委員会から「人材と競争政策に関する検討会 報告書」が公表され、システムエンジニア、編集者、アニメーター、デザイナー、スポーツ選手等フリーランスを独占禁止法によって保護する方向性が示されるなど、個人と企業体との契約交渉力の均衡化は、社会的課題となりつつあります。

弁護士として、芸能プロダクションとタレントの双方をクライアントに持ち、それぞれの立場から間近で紛争を垣間見てきたField-R法律事務所 の東條 岳先生に、芸能界での紛争構造を解説していただきながら、最近のフリーランス保護法制化の動向も踏まえ、個人が企業に契約交渉で負けない条件を勝ち取るための道筋を伺ってみました。

いつも問題となるのは「契約期間の設定」とその「長さ」

芸能界で「独立」をめぐるトラブルが繰り返し発生する原因は、

契約期間の長期化 リスクに関する理解不足
期間更新時 におけるタレント側の交渉力の欠如

にあると、東條先生は言います。

「紛争になるケースの多くは、タレントとして売れてそれなりにキャリアを積んでからのものです。しかしそこで話し合いや訴訟時にベースとされる契約書はいつ結ばれたものかというと、タレントが10代や20代前半といった、契約書など読んだことがないような時期に結んだものが延々と更新されている 場合も多く、本人は未成年で親御さんを親権者として締結されたものも少なくありません。スカウトされ、興奮状態のままよく理解せずに契約を結び、数年経って揉めてから契約書をよく検討してみると、不利な条件で数年間にわたり拘束される契約になっていた、というわけです。」

「芸能界の契約書は、法律の専門家が見てもその業界を知らなければ適切な判断できないものが多いにもかかわらず、契約それ自体にも不慣れな若者やその保護者が、5年10年といった才能を開花させる時期を商品としてプロダクションに拘束されてしまうことの重大さをよく理解しないまま、契約を結んでしまっている部分はあるでしょう。」

情報格差を埋めなければ契約の交渉力も生まれない

ただし、長期契約を避けさえすれば解決するかというと、それだけでは解決しない現実もあるようです。

「契約期間を1年程度に短く設定し、更新時にギャラの取り分を交渉できるように記載された契約も中にはありますし、実際に誠実に協議して条件を決めている事務所もたくさんあります。しかし、だからといって、ここでタレントが更新拒絶を盾にして交渉ができるかというと、現実的には難しい面があることも否めません。一般化はできませんが、ゴシップ記事として書かれるような、仕事を干すといった嫌がらせと受け取られるような行為が事務所により行われるケースがあることは、裁判例(東京地裁平19・3・27専属契約不存在確認等請求反訴事件など)などでも明らかになっているとおりです。」

「そしてそれ以上に、そもそもアーティストは、自分の条件が有利なのか不利なのか、業界水準と比べてどんな待遇なのか、知る術がない ため、正確な判断ができない場合がほとんどです。客観的に見れば好条件であるにもかかわらず、不満を抱いているケースも少なくありません。」

個人が契約の自由を勝ち取るための2つのポイント

このような企業と個人との不幸な争いが繰り返されないためにはどうすればよいか、その解決のための方策として、独占禁止法によるフリーランス保護策が有効なのかについても、ご意見を伺ってみました。

まず、個人が自助努力で解決していけることもあるのではないかと、東條先生は言います。

「やはり先ほど述べた2つのポイントにしっかりと対応できる武器を持っておくことは必要ではないでしょうか。①の契約期間に関しては、契約の中に、フリーランサーなど個人の側から契約更新をペナルティなく拒絶できる更新拒絶権 や、長期の契約に関しては 予告解除権 を持つようにするだけでも、状況は変わるでしょう。契約をやめたいと思ったときにはどうなるのか、想像して契約書を読むだけでも違ってくると思います。」

「そして、②の更新時の契約交渉については、個人がいかに企業との情報格差を埋めるか がポイントだと考えます。私がサポートしている多くのアーティストも、キャリアを積んでから初めて弁護士に相談し、著作者・実演家として当然に主張できる権利の種類やその内容を知ったとおっしゃる方も少なくありません。タレントでなくとも、相場感を知っている弁護士に相談 いただくのはやはり有効だと思います。それにより、自分は正当な報酬をもらえていないと思う場合もあるでしょうし、他より恵まれていることがわかり、無用な紛争が避けられる場合もあるでしょう。」

しかし、一方で、東條先生は、ある程度は法律による介入が望ましいとも言います。

「プロダクションの業界団体が、ひな形である『専属芸術家統一契約書』の変更について検討を行っていることからも、今回の公正取引委員会の発表が大きな影響を与えているのは事実です。しかし、独占禁止法という法律の出番になったことからもわかるとおり、この問題は単にアーティストが個別に知識を付けて交渉をすればよいという問題ではなく、それをしたくてもできないという業界構造的な問題であることを忘れてはいけません。」

「その点で、やはり私は ある程度の法的な介入が必要になると考えています。例えば、芸能人に限らず、フリーランスが事業のためにする取引には、消費者保護のための法律が適用されないことになりますが、現実には、個人事業主だからといって急に契約に関する知識が身につくわけではありません。消費者と個人事業主の垣根が低くなっている昨今においては、未熟な個人事業主を消費者保護法のようなかたちである程度保護する法制度を作る必要もあるのではないか、と長年思っていたところでもあります。」

情報格差を埋める努力をした上で再交渉権を確保する

2018年6月には、厚生労働省が、労働法を拡張することでフリーランスを保護する方向性を打ち出しはじめたと報じられました(2018年6月14日付労働新聞「『労働者性』拡大を検討 フリーも保護対象に 厚労省」)。

しかし、労働法制の今後にも関わる話だけに、実際の法律に落としこまれるとしても、かなり先のことになるでしょう。

現時点では、弁護士等専門家を活用し自ら企業との情報格差を埋める工夫をした上で、それが足りない部分をカバーするために、解除権など企業と契約途中で再交渉を可能とする契約条件を設定しておくこと が、立場の弱い個人が企業と契約交渉をする上での最大のポイントとなりそうです。

画像:
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タカス / PIXTA(ピクスタ)

(橋詰)

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